イギリスはかつて自動車大国でした。黎明期こそドイツやフランスに後れを取りましたが、そこは産業革命誕生の地、工業生産力に優れるイギリスは、瞬く間に自動車生産大国となったのです。MINIを生み出したBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)はそんなイギリス最大の自動車メーカーでしたが、その後ブランドの離合集散を繰り返し現在は存在しません。今回はBMCという会社の変遷を通して、イギリス自動車産業の栄枯盛衰をたどってみたいと思います。
1959年、MINIは「オースチン・セブン」及び「「モーリス・ミニ・マイナー」という名前で発売されます。これはメーカーであるBMCの成り立ちに大きく影響されたネーミング。また後に「ローバー・ミニ」と呼ばれるのは、ローバーとの合併の結果です。このようにミニの呼称が変わっていったのは、製造メーカーがどんどん変わっていったからMINI自体はほぼオリジナルのまま40年以上の長寿を誇りましたが、メーカーは紆余曲折を経ていたのです。
1952年、当時のイギリスで2大自動車メーカーといわれた「オースチン・モータース」と「ナッフィールド・オーガナイゼーション」が合併を発表しました。イギリス最大の自動車メーカー「BMC」の誕生です。
オースチン・モータース
オースチン・モータースは1905年にハーバート・オースチンによって設立された自動車メーカーです。低価格の小型車を得意としており、1922年に発売された「オースチン・7(セブン)」が大ヒット。このオースチン・7は他メーカーでもライセンス生産が行われ、なんとBMW初の4輪車「Dixi 3/15PS」はオースチン・7のライセンス車という意外な関係性もあるのです。
ナッフィールド・オーガナイゼーション
ナッフィールド・オーガナイゼーションは、ナッフィールド(モーリス・モーター・カンパニーの持ち株会社)がライレーを買収し、グループ会社だったMGカー・カンパニーと3社合併することで生まれました。(※ちなみにMGは「モーリス・ガレージ」の略)ナッフィールドにはMINIの生みの親アレック・イシゴニスが所属しており、モーリス・マイナー(モーリス・ミニ・マイナーとは別の車)という小型車を開発して大ヒットさせたことで有名です。
BMC内のブランド
合併・買収で成立したBMCは元々以下のような多くの社内ブランドを保有していました。
そこに開発ナンバーADO(Austin Drawing Office Project )15として開発されたMINIブランドが加わり、ぎっしり詰まった「ブランドの幕の内弁当」の様な状態になっていくのです。
グリルとエンブレムだけを付け替えた「6つ子」車も珍しくなかった
1962年にはADO15(MINI)に続くADO16(これもアレック・イシゴニスが開発)が開発されますが、この車は内外装やエンブレムを変え、
という6つのブランド、つまり「6つ子車」として発売されます。しかし消費者から見るとどの車もあまり代わり映えがせず、車としての魅力は低下。この頃から日本車などの台頭もあり、イギリスの車産業自体が徐々に傾いていきます。
イギリスの産業界が「イギリス病」と呼ばれる先進国病によって停滞し始めていた1960年代後半、政権についたイギリスの労働党は、更なる合併を推し進めることで事態を打開しようとしました。BMCもその対象となり、1966年、ジャガーを吸収してBMH(ブリティッシュ・モーターホールディング)となります。しかし元々ブランドの渋滞が起きていたBMCに更にジャガーとデイムラーというブランドが加わったのですから、状態は更に悪化。BMHは2年ほどしか持ちませんでした。
経営が悪化するBMHを救うため、政府はさらなる合併を推し進めます。ローバーやトライアンフなどのブランドを所有していた「レイランド・モータース」と合併したのです。そうして生まれたBLMC(ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション)にはこれまでのブランドに加え、
といったブランドが集結。
ここにロールスロイスと小さなバックヤードビルダー以外、ほとんどの自動車メーカーが1つの会社に集約されるという、まるで戦時中の「大政翼賛会」のような異常な企業が誕生してしまったのです。しかしこのような「寄り合い所帯企業」では上手くいくはずもなく、BLMCはいよいよ末期的な状態におちいってしまいます。
1968年には財政再建のために国有化され新たに「ブリティッシュ・レイランド」としてスタートしたBLMCでしたが、合併・買収を繰り返した「大企業病」に加え、主要な輸出先であったアメリカでの排ガス規制、また日本車の台頭などによりついには破産寸前にまで追い込まれてしまいます。
しかし国内最大の自動車会社を破産させるわけにもいかず、イギリス政府はしかたなくブリティッシュ・レイランドを国営化。
ついに多くのブランドを傘下に栄光を誇ったイギリス最大の自動車メーカーは、身動きの取れない状態になってしまったのです。
その後ブリティッシュ・レイランドは解体され、海外資本がブランドごとに買収、また多くのブランドがその姿を消しました。
ちなみにロールスロイスもBMWに、ベントレーはVWグループに買収されました)
その中でBMWグループの一翼を支える存在となっているMINIは、BMCが残したブランドとして最も成功しているといえるかもしれません。