ミニなSUV MINI CROSSOVER

ミニベロという自転車のジャンルをご存じでしょうか?MINI(小型の)VELO(自転車)というフランス語で、ホイールのサイズが20インチ以下の自転車を指します。ママチャリの次にポピュラーなタイプなので、普通に街でご覧になったこともあるかと思います。しかしこのミニベロというジャンルで100万円を優に超える超弩級の高級自転車が存在します。その名は「アレックス・モールトン」。そしてこの自転車を開発したのはその名の元となった「アレックス・モールトン博士」、MINIの開発に重要な役割を果たした人物です。今回はこのアレックス・モールトン博士についてくわしくお伝えしてまいります。


愛されるが故にいじられる

モールトン博士の曾祖父スティーヴン・モールトンは、アメリカに渡ってゴムの加硫硬化(ゴムに硫黄を加えて弾力を持たせる技術)の特許を取り、イギリスのゴム産業隆興の祖となることで巨万の富を得ます。イギリスのウイルトシャー州ブラッドフォード・オン・エイヴォンという町には「ザ・ホール」と呼ばれる17世紀に作られたお城があり、モールトン博士はそこで育ちます。つまり超が付くほどのお坊ちゃまというわけです。

家業の「ゴム」がのちの運命を変える

そんなお坊ちゃまのモールトン博士、曾祖父が作ったゴム製品の製造会社「ジョージ・スペンサー・モールトン・アンド・カンパニー」をエイヴォン・タイヤに売却してしまいますが、結果としてこの家業だった「ゴム」が彼の後の運命を変えていきます。

エンジニアとしてのスタートは航空機だった

モールトン博士が名門ケンブリッジ大学の工学部キングス校に在学中に第二次世界大戦が勃発します。戦時体制になったため彼はブリストル航空機会社に入社し、名機と呼ばれるセントーラス空冷星形エンジンの開発にアシスタント・エンジニアとして加わります。モールトン博士のエンジニアキャリアは航空機エンジンからスタートしたのです。

運命の転換点「スエズ動乱」

第二次世界大戦後の1956年、ヨーロッパの産業に大きな影響を与えた「スエズ動乱」が起こります。物流の要衝だったスエズ運河が第二次中東戦争の係争地になったため原油が高騰し、企業の生産方針やエネルギーに対する個人の考え方が変わっていきました。
モールトン博士も、
『私の自転車との恋愛関係は、1956年のスエズ動乱に端を発した石油危機ではじまった。 私は、サイクリングの高エネルギー効率に目覚めた。当時、私はミニとして知られる小型自動車の創造者である盟友 アレック・イシゴニスに協力し、革新的サスペンションの開発に従事するというエンジニアとしての最大の幸運に恵まれた。 以来40年、今日にいたるまで私の自転車に対する愛情は絶えたことはない。』―アレックス・モールトン
と語っています。
そう、このスエズ動乱が博士をMINIと自転車の開発に駆り立てることになるのです。

MINIのサスペンションを開発

盟友アレック・イシゴニスのMINI開発に力を貸す

スエズ動乱の影響は当時BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)で開発を行っていたモールトン博士の盟友アレック・イシゴニスにも及びます。
オイルショックが起こり、

  • 経済的で
  • 大人4人乗ることが出来る
  • 極コンパクト

な車を開発するように会社から言い渡されてしまったのです。コンパクトなボディに大人4人が乗るということは、フロントのエンジン部分はできるだけ小さくする必要があります。そこでイシゴニスはエンジンの真下にギアボックスとデフを置いて2段式にする「イシゴニス・レイアウト」と呼ばれるエンジン・ギアマウントを考案しますが、それでもスペースが足りません。
そこに登場するのがイシゴニスの友人だったモールトン博士です。

ラバーコーンサスペンション

大衆に喜ばれる超コンパクトカーを開発していたイシゴニスの悩みは、サスペンションの「コスト」と「コンパクト化」でした。一般的なスプリングを用いるサスペンションではコストとスペースの問題で採用することが出来なかったのです。そこでモールトン博士は家業であった「ゴム」の塊をスプリングの代わりに用いる独特のサスペンションシステム「ラバーコーンサスペンション」を開発。コストとスペースの問題を解決します。こうして生まれた小型車はモーリス・ミニ・マイナーと名付けられ、皆さまもご存じの通り、FF車の傑作として世界中の人に愛されるのです。


個性的なMINIを更にユニークした名車たち

MINIのラバーコーンサスペンションを設計した後、モールトン博士はもう一つの想いをかなえるため、「アレックス・モールトン・バイシクルズ」を設立します。大径のホイールに鋼管のダイヤモンドフレーム(通常の自転車のフレーム)という従来の組合せに疑問を抱いたモールトン博士は、

  • 小径ホイール
  • 高圧タイヤ
  • 独自のゴムサスペンション

を採用した自転車を開発。大人気を博します。「小さな高級自転車」アレックス・モールトンの誕生です。

1986年自転車世界最高速度を達成!

60年代後半にはアレックス・モールトンが大ヒットとなったことによる忙しさに嫌気がさし、アレックス・モールトン・バイシクルズ社を一旦売却してしまいますが、1980に再び同社を取得。現在のアレックス・モールトンに通じる細いパイプを複雑な溶接でつないだ「トラスフレーム」を開発します。そして1986年、アレックス・モールトンは200mでの「伴走車なしクラス」で時速51.29マイル(時速82.53km)という世界スピード記録を達成!この記録は現在に至るまで破られていません。モールトン博士のエンジニアリングが正しいことが証明されたのです。

1台100万円を超える超高級自転車

現在アレックス・モールトンはイギリスの自転車メーカーパシュレーと日本のブリヂストンにライセンス供与されていますが、オリジナルのアレックス・モールトンは100万円を優に超えるモデルもある超高級自転車となり、自転車マニア垂涎の的となっています。

小さくても世界を圧巻したMINIとアレックス・モールトン

乗用車としては極小といえるMINIと、ママチャリよりも小型なアレックス・モールトンは小さいながらも世界を席巻しました。
両車にはモールトン博士の思想が色濃く反映されています。MINIのファンである方々も、一度アレックス・モールトンをご覧になり、モールトン博士の考え方に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。



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