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BMWの始まりは「航空機のエンジン屋」!? 航空機用エンジンメーカーとして創業/BMWの創業は1916年。ドイツ人技術者のグスタフ・オットーにより、バイエリッシェ・フルークツォイク・ヴェルケ株式会社(バイエルン航空機製造株式会社)として設立されました。翌1917年に社名を現在のBMW(Bayerische Motoren Werke AG)に変更しますが、製造していたのはあくまでも航空機とそのエンジン。時は「航空機の争」と言われた第一次世界大戦(1914-1918)のまっただ中で、連合国と戦うドイツにとって、優れた戦闘機がどうしても必要だったからです。その戦争による特需によりBMWは大きく発展し、また優れたエンジンを作る高い技術力を獲得します。「シルキーシックス」と呼ばれる絶品の直列6気筒エンジンを製造する技術は、この頃に培われていたと言ってよいでしょう。
バイクメーカーとして再スタート戦争により、航空機用エンジンメーカーとして発展を遂げたBMWでしたが、ドイツは第一次世界大戦に敗北。BMWは航空機エンジンの開発・製造を禁止されてしまいます。行き詰まったBMWは、航空機エンジンで培った技術をバイク製造に応用し、1923年、第1号のバイク「R32」を製造。バイクメーカーとして再スタートを切るのです。このR32はエンジンの振動がシートやハンドルに伝わるのを抑えるため、一般的なチェーン駆動ではなく、車のようにシャフトで駆動力を伝える「シャフトドライブ」を採用し高い人気を得ました。現代に至るまで、BMWのバイクがシャフトドライブを採用するのはここに始まります。
度重なる戦争とドイツの東西分裂という苦難1929年にはBMW初の4輪モデル「Dixi 3/15PS」が誕生します。現在に至る自動車メーカーとしてのスタートを切ったのです。このモデルは買収したディクシー社がイギリスの自動車メーカー、オースチンセブン社のライセンスを受けて生産したものでしたが、それを通じて自動車作りのノウハウを得たBMWは1932年、完全自社設計・開発の「3/20 AM1」を発表し、自動車メーカーとして順調な成長を遂げていきます。またその頃になると禁止されていた航空機開発が解禁され、分社化された航空機部門は後にメッサーシュミット社と合併し改称。そう、ドイツが世界に誇る名戦闘機、あの「メッサーシュミット」です。メッサーシュミットはドイツの主力戦闘機である「Bf109」の開発・製造にとどまらず、世界初のジェット戦闘機「Me 262」を開発。その圧倒的な技術力・開発力を持って、世界にその名をとどろかせます。しかしドイツは第二次世界大戦で再び敗北し、戦闘機やロケット開発に携わっていたBMWは3年間の操業停止処分を受けてしまいます。さらに追い打ちをかけるようにドイツは東西に分割され、東ドイツにあったアイゼナハ工場はソ連に接収という憂き目に。BMW苦難の道の始まりです。
倒産の危機を乗り越え、世界に名高い高級自動車メーカーへ1951年には戦後初の4輪自動車「501」を、1955年にはイタリアのイソ社からライセンスを受けた超小型車「イセッタ」を販売しスマッシュヒットを飛ばします。しかし主力施設や生産工場を東西分裂によって失ったダメージは重く、1959年には倒産の危機に瀕してしまいます。そのピンチを救ったのが、BMW初のモノコックボディを採用した小型車、「ノイエクラッセ(英語に訳すとニュークラス)」と呼ばれた「1500」シリーズです。1500シリーズは当時の乗用車の常識をくつがえすほどのクオリティで、BMWはこの1500のヒットで息を吹き返します。1500シリーズはその後1600シリーズに発展し、1966年にはその2ドアモデル「1600-02」が発表されます。1600-02はその後「1602」と名前を変え、1,800ccの「1802」、2,000ccの「2002」と発展。そう、スポーツサルーンの傑作、BMW・02シリーズ、通称「マルニ」です。この02シリーズの大ヒットにより、BMWは「走り」を楽しむスポーツサルーンという地位を獲得。現在にまで続く「駆けぬける歓び」の礎を築きます。更に1971年にはランボルギーニ・カウンタックやランチャ・ストラトスをデザインしたベルトーネのチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニがデザインを担当した「世界一美しいスポーツクーペ」、ビッグストレートシックスを搭載した「3.0CS」を発表。スポーティーな高級自動車メーカーとしての地位を確立していくのです。
日本でのBMWの歴史/1981年ビー・エム・ダブリュー株式会社設立 (BMW Group Japan)日本でBMWがドイツの高級自動車メーカーとして一般に認識されだしたのは、1981年、日本法人のビー・エム・ダブリュー株式会社が設立された頃からです。
バブル期の日本で3シリーズが大ヒット1980年代の後半、バブル期を迎えると3シリーズが大ヒット。他社から嫉妬を受け「六本木カローラ」と揶揄されるほどの大人気を博します。その後我が国において高級輸入車の代表となっているのはご存じの通りです。
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