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現在では押しも押されぬ世界的な高級自動車メーカーであるBMWですが、1916年の創業からずっと順風満帆だったわけではありません。
特にドイツが敗戦国となって国土が東西に分割された第二次世界大戦後は、「あわや倒産⁉」という危機にまで陥ったことがあったのです。
そんなBMW最大のピンチを救ったのが、BMW史上「最小」のクルマ、「イセッタ」でした。
今回はそんなBMW復活の立役者、BMWイセッタのONE CAR HISTORYをお送りします。
販売不振で苦しむBMWを救ったイセッタ
第二次世界大戦の敗戦による苦難の始まり
BMWは元々航空機のエンジンを製作していたエンジン屋です。
戦時下では当然の流れとして軍需産業メーカーとなっていました。
そのため第二次世界大戦でドイツが敗北すると、東西に分割された国土とともに、BMWの工場も東西に分割されてしまいます。
アメリカ軍に接収されたミュンヘンの工場では、鉄くずを集めて鍋や釜を作って販売するという悲惨な有様だったようです。
大型車BMW501は高額すぎた
そんな逆境の中でもBMWのエンジニアたちは腐ることなく、1948年には「R24」というバイクを開発して復活の狼煙をあげます。
そしてその販売で得た資金でいよいよ4輪車の開発に着手、1952年に大型高級車「BMW501」を発売しますが、これがまさかの大コケ!
当時の労働者の月給が「360マルク」程度だったのに対し、BMW501は「15,000マルク」という超高級志向、とても手の出るものではなかったのです。
このマーケティングの失敗によりBMWの経営は一気に傾いていきます。
イタリアのイソ社からのライセンス提供を受け生産
そんな苦境のBMWが目をつけたのが1953年にイタリアのイソ社が発売した「イセッタ」でした。
全長2285mm、丸くて小さなボディの「前方」に1枚だけドアのあるユニークな超小型車は、大型車で大失敗した当時のBMWには非常に魅力的に映ったのです。
BMW側は早速イソ社にライセンス契約を打診。
話はトントン拍子に進んですぐさまライセンス生産が始まります。
イタリアでは「500」の登場により苦戦中だった⁉
というのも、実はこのイセッタ、イタリア本国ではライバルの初代フィアット500の登場により、販売台数が急激に低下していました。
そこにきてBMWからのライセンス提供の話があったわけですから、イソ社としてはすぐに飛びついたというわけです。
BMW独自の改良を加える
ただライセンス生産とはいっても、そこは堅実な国民性を持つドイツ人、まったくそのままの生産はせず、BMWの工夫を加えたいくつかの改造をおこないました。
エンジンはイソ製の排気量240cc・2ストローク単気筒エンジン(最高出力9.5馬力)を、BMWのバイクに搭載していた排気量256ccの4ストローク単気筒OHVエンジン(最高出力12馬力)に換装。
その他、ウインカーを新設したり、ヘッドランプの取り付け位置の変更をおこなったりと、保安部品関係にもBMW独自の改良を加えています。
イセッタ250発売
こうして1955年、BMWイセッタ250が発売されます。
価格は2,580マルク。
BMW501が15,000マルクですから、いかにリーズナブルであったかがわかります。
エンジンは12馬力という非力なものでしたが、車重が360kgしかなかったことから必要にして十分で、最高速度は時速85kmを記録しました。
またドイツ国内ではバイクの免許で運転できるというメリットもあり、このイセッタ250は大ヒット。
あまりにもコンパクトで2人しか乗れないため、「キャビンスクーター」の愛称で親しまれました。
さらに上級バージョンの「イセッタ300」を発売
イセッタ250のヒットに気を良くしたBMWは、1955年末には排気量を298ccにアップした「イセッタ300」を発売します。
256ccだった排気量を298ccにまでアップ。最高出力も12psから13psにわずかながらパワーアップしています。
1956年秋になると外観上にも変化があり、「バブルウインドウ」と呼ばれていたはめ殺しの窓をやめて開閉可能なスライドウインドウを装備するようになりました。
これらの改良を経て、イセッタもだいぶ「クルマらしく」なってきます。
「恋人たちの部屋」と呼ばれる
イセッタは、冷蔵庫の扉のようにフロントドアを開けて乗り込みます。
ステアリングはフロントドアに固定されているため、ドアを開けると一緒に前に出てくるようになっており、初めて見るとかなり驚く仕様です。
またシートはベンチシートで大人2人が並んで座れるのですが、超コンパクトカーであるため2人は自然と「密着」してしまいます。
そのため「イセッタ」は「恋人たちの部屋」というニックネームをつけられ、若い恋人たちに思わぬ人気を得たそうです。
BMW版イセッタがライセンス生産で国外へ!
ドイツ国内でのイセッタのヒットに気を良くしたBMWは、イソ社からイセッタの輸出する権利を得ます。
こうしてBMW版イセッタはイギリスや北欧などヨーロッパ各国へ輸出され、アメリカ向けにはパイプバンパーと大型ライトを装備して輸出されました。
そしてブラジルでは、本家イソを抑え、BMW版のイセッタが「ロミ・イセッタ」としてライセンス生産されたというから驚きです。
最終的にはBMW600に発展、ついに4人乗りに!
1957年になると最高出力19.5psを発揮する582ccフラット・ツインエンジンを搭載したBMW600が発売されます。
イセッタの発展形ですが、ホイールベースが延長され、念願の「4人乗り」となりました。
またこのBMW600はRRの小型車BMW700のベースモデルとなり、そのBMW700はBMWが現在の成功を収めるきっかけとなった大ヒットモデル「ノイエクラッセ」までの間をつなぐ大切な1台となったのです。
もしイセッタに目をつけていなければ・・・
経営不振のBMWを救い、更には大ヒットモデルの「つなぎ役」にまで発展したイセッタ。
もしイセッタに目をつけていなければ、今のBMWは存在しなかったか