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それはレースに勝つために生まれた!
「駆けぬける歓び」をスローガンとするBMWにとって、モータースポーツは切っても切れない関係にあります。
そしてそのモータースポーツ活動を支え、レースに勝つマシンを設計・製造してきたのが「BMW M社」(BMW M GmbH)。
また過酷なレース環境で培われてきたその高い技術力を市販モデルにフィードバックし、「公道も走れる究極のレーシング・スポーツカー」Mモデルを開発する組織でもあります。
そこで今回は、そんなBMW M社の歴史を、「M1」や「初代M3」といった伝説のモデルを紹介しながら、紐解いていきたいと思います。
前身はBMWモータースポーツ社
BMWとモータースポーツの関係は古く、1930年代には「300シリーズ」でレースに参戦。名車「328」ではデビュー即優勝という快挙も成し遂げています。
1970年代になるとヨーロッパツーリングカー選手権やドイツレーシングカー選手権(ドイツツーリングカー選手権=DTMの前身)に2002tiや320iターボで参戦し、他メーカーと激戦を繰り広げます。
しかしそうなってくるとBMW内のモータースポーツ部門だけでは対応が
難しくなってきました。
そこで1972年5月1日に設立されたのが「BMWモータースポーツ社」BMW M社の前身となる組織です。
レースに勝つためのマシンを作る
設立されたBMWモータースポーツ社に課せられたのは「レースに勝つ」マシンを作ること。
そこで生み出されたのが、アルミ製のエンジンフードとドアで軽量化を実現し、3.3Lのストレート6をフロントに搭載した「3.0CSL」です。
(※CSLは「Coupe Sport Leichtbau」クーペ・スポーツ・軽量構造の略)
青/紫/赤という現在Mモデルを表すトレードマークとなっているトリコロールストライプを身にまとった3.0CSLは、たちまちすさまじい戦闘力を発揮。
1973年にはニュルブルクリンク24時間耐久レースで勝利を収め、ヨーロッパツーリングカー選手権でも1973~1979年に6回も優勝するなど、世界のツーリングカー・シーンを席巻します。
またその卓越した開発能力はフォーミュラカーの最高峰、F1の世界でも実力を見せつけ、ブラバム=BMWとしてデビューしてからわずか630日でメインドライバーのネルソン・ピケがワールドチャンピオンに輝くのです。
市販されたホモロゲーションモデル
レースで大成功を収めたBMWモータースポーツ社は、1978年、「M」モデルの名前の由来となる伝説のマシン「M1」をリリース。
80年代に入ると、1984年に始まったDTM(ドイツツーリングカー選手権)に勝つためのマシン開発に着手します。1985年にデビューした初代M3(E30)です。
初代M3はグループAレースに出場するためのホモロゲーション取得のために5,000台を目標に生産・販売されます。
(※ホモロゲーションとは承認・認証という意味。グループAは市販車ベースの車両で争うルールだったため、ベース車両を一定数生産する必要があった)
ここにレーシングカーと市販車の並行開発が実現し、「公道も走れる究極のレーシング・スポーツカー」Mモデルとして発展していくのです。
究極の「駆けぬける歓び」
1993年に「BMW M社」と社名を変更したBMWモータースポーツ社は、その後もM3・M5を中心にハイパフォーマンスモデルを開発。
現在はMモデルの開発、Mパフォーマンスモデルのチューニングなどの他、「BMW INDIVIDUAL MANUFAKTUR(マニュファクチュール)」では顧客と共に最高の1台をオーダーメイドで生産するなど、レースからのフィードバックを市販車に注ぎ込み、究極の「駆けぬける歓び」をユーザーに送り届けています。
次回のコラムは、歴代のMモデル!
1970~80年代「伝説のM1から初代M3」
70~80年代は、レーシングカーからホモロゲーションモデルとして「公道も走れる究極のレーシング・スポーツカー」が生み出された時代です。
トップ・オブ・M「M8グランクーペ コンペティション」まで一挙公開!